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beloved =14=
「……で? わざわざ俺を呼び出した理由は?」
村上興産の重役会議室で、圭介と向き合うなり、幸太郎はそう尋ねた。
村上興産は圭介の家業だった。 その業界では大手と言われる老舗の不動産会社だが、いまや建築・不動産だけではなく、金融やレジャー産業までを扱う一大コングロマリットに成長している。 幸太郎とは学生時代からの悪友である圭介は、この会社の専務取締役なのだ。 幸太郎は以前、お前のようなやつが取締役で会社が成り立つのかと揶揄したら、幸太郎が副社長を務める「MISAKI」も同じようなものだと返されたことがあった。 言いたいことを少しも気兼ねしないで気軽に言い合える関係、だからこそ、男同士の腐れ縁もこうして続いているのだろう。
「お前と違って忙しいんだよ。よほどの用件なんだろうな?」 幸太郎が重ねて言うと、圭介は黙ったまま、この部屋に入ってきたときに持っていたA4版くらいの茶封筒を開け、中から数枚の書類を取り出した。 「業界で出回ってる顧客リスト」 人差し指の先で押して寄越されたそれを見ても、個人データらしきものと数字が並んでいるだけで、幸太郎にはよくわからない。 「業界? 不動産関係か?」 聞き返した幸太郎に、圭介は渋い顔で首を振った。 「いや、違う……裏の方だ」 「裏……?」 そう言われて、幸太郎はますます戸惑った。
村上興産……現在では、表向き堅気の不動産会社の形態をとっているが、その母体は関東総和会という広域指定暴力団なのである。 そして、圭介の言う「裏」とは、ヤミ金融や賭博など、いわば「後ろ暗い」総和会の資金源を指していた。 現会長の孫である圭介は、総和会の中では「若頭筆頭」という幹部職にあり、また将来は祖父と副会長である父親の跡目を継いで、会長の座を嘱望されている人物でもある。幸太郎は、もちろん圭介の背景については承知の上だったし、彼と圭介が友達付き合いをするにあたって、そんなことは些事に過ぎなかった。 とはいえ、企業が絡んでくるとなれば話は別だ。個人的な心情がどうであれ、一般企業と暴力団の癒着はご法度というのが、この国の風潮なのだから致し方ない。 だが、その点は圭介もよくわかっていて、幸太郎の前でも極力「裏」の話は避けるのが常だった。なのに、今日は自分からそれを持ち出してくるなんて……一体どういうつもりなのか、と幸太郎は訝った。
「内輪の資料だから、素人が見たってさっぱりだとは思うが……真ん中あたりに、松原静江ってのがいるだろう、わかるか?」 どことなく聞き覚えがあるような気がしたが、それがどうしてなのか頭で考える前に、目の方が先にその名前を見つけ、幸太郎は圭介に向かって小さく頷いた。 「ああ、あるな……この女がどうかしたのか?」 さして表情も変えずにそう言った幸太郎に、今度は圭介の方が眉を上げた。 「おいおい、ボケるのも大概にしてくれよ。名前でピンと来ると思ったんだがな」 圭介は、幸太郎の前に置かれた書類の端を、とんとんと指先で叩いた。 「俺……こいつは佐和子ちゃんのお袋さんじゃねえかと思うんだけど」 それを聞いた幸太郎は、一瞬、理解不能な外国語を聞いたような顔をしたが、次の瞬間には見る見るうちに表情を変えた。 眉間に皺を寄せながら、幸太郎は再び書類を手に取って見た。 だが、やはり彼にはよくわからず、苛立たしげな声で言った。 「畜生、こんなもの見たって何がなんだかさっぱりわからねえ。どうしてお前んとこの『裏』の資料に、佐和子のお袋さんの名前があるんだよ。いや、そもそもこいつが佐和子のお袋さんじゃねえかと思った根拠から聞かせてくれ」 乗り出した幸太郎に小さく嘆息し、圭介は、そう言われるのを予期していたらしい様子で語りはじめた。
まあ、俺が最初にこの女の名前を見つけたってわけじゃねえんだ。 知っての通り、うちは傘下が多いしよ、その中にはノミなんかやってんのもいるんだよ。 そこにやたらとデカいの張るくせに全然当たらねえ可哀相なお坊ちゃんがいてよ、どうやら負けが込んで首が回らなくなっちまったらしいんだよな。 それでも、こっちは商売だから、貸した分は取り立てなきゃならねえし、さてどうしたもんかと一考したわけだ。そんでまあ、付き合ってる女でもいれば風俗に売っちまうかってことになって、そこで浮かんできたのがこの女。 歳はもう40近いらしいけど、調べてみたら、若いツバメに入れ込んで、ずいぶん貢いでるそうじゃねえか。お坊ちゃんの借金の尻拭いまでさせられてよ。今じゃ、2人揃って2千万からの借金抱えてるが、到底返せる金額じゃねえな。 俺も、普通なら傘下の組のやってることになんか首突っ込んだりしねえんだけど、たまたまこの2人の身元データを目にする機会があって、ちょっと気になったって言うか、佐和子ちゃんのお袋さんについてもお前から又聞きしてたし、もしかしたらと思ったわけ。 そんで、俺なりに調べた結果なんだが……多分、間違いねえ。 松原って苗字は佐和子ちゃんと同姓だし、男の名前は淳也だ。年齢的にも、佐和子ちゃんの母親ならあのくらいだろう。以前はM市に住んでたことも突き止めてる。 もっと詳しいことは、今、舎弟分に命じて調べさせてるが、住民票や戸籍謄本が手に入ればはっきりするだろう。 余計なお世話だと言われるかも知れないが、とりあえず、この件はお前の耳に入れておいた方が良いと思ってな――。
幸太郎は、圭介の話に息を詰めて聞き入っていたが、ゆっくりと顔を上げた。 「佐和子の話じゃ、お袋さんは少し前に自己破産が認められているはずだ。そんな人間でも、またそう簡単に借金したりできるものなのか?」 「銀行や堅気の消費者金融じゃあ、ちょっと無理かも知れないけど……うちみたいなヤミ金にとってはカモみてえなもんだな」 言いながら、圭介は小さく肩をすくめて見せた。 「まともな機関じゃ借りれねえ、だが金は必要だ。そうなったら、否が応でも違法な高利貸しで借りざるを得なくなる。それに、そういうやつらは以前に取り立てで痛い目に遭ってることが多いから、どんなことをしてでも返そうって必死になる。裁判所だって、2度目の自己破産はそう簡単に認めちゃくれねえからな。てことで、俺らにとっちゃ優良顧客だよ」 そう言って、圭介は自嘲気味に笑ったが、幸太郎は笑えなかった。 火車だ、と彼は思った。
何という哀しい悪循環だろう。1度それに足を捕られたら、2度と抜け出すことができない泥沼。まさに、借金地獄と呼ぶに相応しい。 そんな底なしの沼に、佐和子の母親がはまっていると言うのか?
「気をつけた方がいいぞ、幸太郎」 圭介に肩を叩かれ、幸太郎は我に返った。 「気をつける?」 「ああ。俺はこの世界で、社会の裏側、人間の汚い部分を嫌って言うほど見てきた。世の中、理屈の通用する人間ばかりじゃねえんだ」 「……それと佐和子のお袋さんと、何の関係があるんだよ」 幸太郎は、目の前の書類をくしゃくしゃと丸め、側にあった屑籠に放り入れたが、少しだけ狙いが逸れて、屑籠の縁に当たって外側に落ちた。 「別に、この件で佐和子ちゃんのお袋さんや、ましてや佐和子ちゃん本人を悪く言うつもりはねえよ。ただ、お前の立場ってもんも考えると、用心するに越したことはねえって忠告してるだけ」 幸太郎は、それには答えず「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。 それから、おもむろに立ち上がると、ありもしないスーツの埃を手で払った。 「話っていうのがそれだけだったら、帰る」 「おう。呼び立ててすまなかったな」 圭介は、席に着いたまま軽く手を振る。 素っ気なく手を振り返した幸太郎は、黙ったまま会議室を後にした。
圭介のやつ、お節介なことしやがって。 帰路に着く車中、幸太郎は圭介に向かって悪態を吐いた。 だが、本当に圭介の言いたいことは、痛いほどにわかっていた。 圭介は、純粋に親友である自分を心配しているに違いない。 昔から、彼はそういう性格だったから。
ただ、自分は認めたくないのだ。 佐和子の母親が健在でいること。 今でも多額の借金を抱えていること。 そして……いつかは娘である佐和子の前に現れるかも知れないこと。
実の母親を前にして、佐和子が変わってしまわないとは言い切れない。 もしも彼女が、自分を置いて母親の元に帰ると言い出したら、俺はどうする? 今さら、佐和子を手離すことなど、自分には到底できそうにない。
今日のことは、佐和子には言わずにおこうと幸太郎は決めた。 佐和子を失わないためなら、自分はどんな曲がったことでもするだろう。
たとえ、それが自らのエゴで……実の母娘を永遠に引き離すことになっても。
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| 2006.07.08
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